岡崎は徳川家康の誕生を迎えた町であり、その昔、町並みは鎌倉時代から街道筋にあったこともあって、今日まで古い歴史をもつ家が点在しています。
なかでも慶長期にあった城下の街道は27曲りあり、道筋は今でもその面影を残しています。
私は、以前から普請の計画を進めていくとき、その町並みに合わせて計画をしている。歴史的重みを無視せず、残さなければならない部分は、さらにその次の世代へ伝承していくものであると考えています。
日本人としてその培われてきた様式を大切にしなければならないし、またその心をも大切にしなければならないと思っています。
自然と人間のかかわりにおいて、日本の伝統的心は人間が自然の中より出て、それは母であり故郷であるというように考えます。つまり自然に随順し吸収され、そして摂取されていくと考えるのである。そこに人生の究極を感じると考えています。
その心は芸能そして生活文化へと表現され、能、茶道、華道そして礼儀作法、またさらに対人関係へとその本質は表現されています。この自然観において私は、人間にとって永遠の願いである“心の救い”を導くことを建築空間に、そして庭園に求めました。
今回の普請についても、私と施主がその自然観において同化することから始めました。
庭は自然の山合を表現したものがいい、石はその渓谷にあるものをそのままの姿で表現したい。そして建築は、自然の材料をできるだけそのままの形で表現し、つくってみたい。
このようにして普請のあり方を心の救いを導く空間として理解し合っていきました。
家相もまた、心の救いを導く空間として取り入れられました。自然の中に生活する人間にとって家相は、その自然の法則によるものであると理解し、古来中国の建築に応用された学問として取り入れられました。
人間の一生の間には幸せなこともあれば不幸なこともあるだろう。できることならいつも自然の恵みを受けてありのままに生きていたいし、穏やかな生活が続くことを望みたいだろう。庭や住まいにおいてそんな気配を感ずる空間としてデザインを考えてました。
敷地環境について、住宅の建つ周りを自然石の野面積みで石垣を造り、その他の部分は法面に小熊笹を植え込み、竹矢来をして町並みの景観に合うよう配慮しました。
施主の希望により敷地を南北ふたつにわけ、北はすべて庭園とし、弓道場をその角に設けました。住まいの部分ではその南側に主庭を設け、唐の李白の詩“廬山の瀑布を望む”に基づいて、その壮大な山河を見立てました。
建物については、屋根は日本瓦の一文字葺きをした切妻屋根とし、わずかにむくりをつけてやわらかさを出しました。
また、木材の各々の寸法について、岡崎という地方性を考慮して少し太めにし、全体に安定感を出しました。
施主は古くより呉服業を営む家柄であったため、幼いころより大切にしておられた思い出深い帯や時代裂を室内の襖などにはめ込み、また玄関の飾り棚では、その仕事に関連して漆の棚を組紐で吊るすようにしました。
住まう人が今までにもっとも心に残ったこと、また残したいことなどが、その住まいに生かされてこそ初めて住みやすい住宅になるのではないでしょうか。そして、そこを訪れる人々がその穏やかな主人の雰囲気をそれぞれの空間に感じとって頂けるでしょう。
建築空間そして庭園においての“救い”とは、そのような気配を感じる空間の中から生まれると考えます。その救いの空間とは、私と施主が自然の心に同化したときに生まれた、穏やかな空間でした。つまり設計者と施主の自然観がひとつになったとき、そのデザインは完成すると考えています。
唐の李白の詩“廬山の瀑布を望む”
日は香炉を照らし紫烟を出ず
遥かに看る瀑布の前川にかかるを
飛流直下 三千尺
疑うらくは是れ銀河の九天落つるかと
香炉峰を遥かに眺めやると大きな滝が前を流れている
川面に峰からぶら下がって落ちているのが見える
まるで天の川が天から落ちてきたようだと説明される
庭を眺め、その瀑布を望みながらひたすら大きな気分で酒が飲めるよう、主庭を見立てて設計しました。
新建築 住宅特集1989年1月号に掲載
ほか、住宅建築1989年8月号に掲載
撮影:新建築社写真部